札幌勤務が決まってから、中島みゆきさん縁の地を訪れられたらと思ってきた。
札幌市内は近場なので、早めに回れた。
帯広も出張が何度かあったので、うまく母校に行くことができた。
あともう1ヵ所、縁の地があるのだが、札幌から2,3時間離れていて、出張で行くことはまずなさそうな場所だった。
そろそろ札幌から異動になる可能性も出てきたので、雪の季節になる前に行っておこうと、9月の3連休に出かけた。
その地とは、岩内町。
ゆるキャラはたち丸という。
二次元ではまだ可愛らしさもあるが、着ぐるみになるとどうかなぁと思うけど、それは今回の目的とは無関係である。
岩内町の観光やその日に合ったイベントも覗いたが、それはたまたまのこと。
あるサイトには、みゆきさんは小学生時代のほとんどをここで過ごしたそうだ。
彼女はあるインタビューで自分にはふるさとはないが、岩内町の日本海は印象に残っていると話しているらしい。
また、作家、村松友視氏との対談で、岩内の小学生では「赤灯台」という詩集を発行していたと述べている。
ということで、みゆきさんが見た日本海と赤灯台を訪ねた。
といっても、灯台はみゆきさんがいたときとは違う場所に今はあるようだし、堤防が高くそびえていて遠くの日本海はのぞめない。
そんな中でも、監視用なのかロープがあったので、堤防の上にあがり、おっかなびっくりでみた日本海は静かだった。
赤灯台のたもとに座り、海をぼんやり眺める。
泊原発がこれもぼんやり見える。みゆきさんはこの眺めは見ていないか。
見ていたらどう思ったろうか。
この日はいい天気、冬は厳しいこの地でも小学生のみゆきさんはのどかな気分に浸っていたこともあったのではないか。
自分が海の上でただ存在しているという感覚は、日常にない世界だ。
父親が勤めていたらしい病院は建物が新しく、産婦人科もなさそうで、昔の面影はなさそうである。
縁の地なら、自然の方が感情移入しやすいようである。
みゆきさんには海の歌は多いが、この日、心に浮かんだのは、「シーサイドコーボラス」だった。