10月6日の読売新聞夕刊に
「先生の理想は21~25人学級」という記事があった。
その記事には学習指導面で子どもの少ないクラスを
受け持つ教師ほど、「順調」と感じる割合が高いという
結果も紹介している。
21~25人といったら私が小中学生の時の約半分である。
ある程度の人数がいる中なら、多いより少ないほうが
目が行き届くというのは当然の理屈ではある。
だが、半分にまでしないといけない現状なのか。
そういう理屈なら少人数がいいということになりそうだが、
クラスメイトの存在がやる気につながるという面もあり、
ある程度の人数はいたほうがいいということでの
21~25人ということだろうか。
クラス全員が授業に参加する動機を作れれば
人数が多くなっても問題にならないはずである。
生徒の学力差を小さくしたらそのクラスにあった
授業が展開しやすいというのは、習熟度別クラスの
最近の流行からも伺われる。
ただし、公立については限界はあるだろう。
授業で教師が指導する割合をなるべく小さくして
生徒が自習する支援に時間を割くものにできたら、
各生徒が達成感を感じて学習動機も維持され、
クラスの人数も多く出来ないだろうか。
一斉授業の中に個人別指導を組み込む。
そんな授業が学校で展開されたら、学力つけるのは
学校より塾が上というちまたの考えも変わりうるのではないか。
そのためには教案が個人別指導に対応できなければならない。
教科書だけでは課題の練習が質量ともに不足する。
公文式のように系統だったスモールステップの教材があったら
多人数の中での個別指導が可能だが、学校単独でそれを
確立するのは難しいと思う。
だから、公文式を導入している学校が存在している。
たとえ、そんなシステムがあったとしても、子どもの意欲付けには
個別のコミュニケーションが欠かせない。
できないから人数を少なくするのは対処療法にすぎない。
どうしたら一斉授業の中に個人別指導を組み込めるか、
そのことに目をむけた上でどういう授業をしていくかが検討されて後に、
運営面での改善をすすめたほうがいいのではないか。
何人がいいかではなく、何人でも関係ないクラス作りをしようと
考えるほうが先に活かせるのではないか。
指導力のない家庭教師では学力はつかないのである。