中島みゆきさんのアルバム「相聞」が出て、しばらく経ってから、
その公式ホームページにみゆきさんへの
インタビューが掲載された。
アルバム作成の裏側や曲ごとの内容、アルバムでの位置のようなものが
語られている。
読みどころがいくつもあるが、引用したいのは「アリア」のくだり。
―― 「アリア-Air-」は鉄板焼きですか(笑)。平原さんのアルバム「LOVE」で聞いた時に、ご自分で歌われるんだろうかと思いましたけど。あの時にはもうお決めになってたんでしょうか。
この先何年も経ってからじゃ忘れてしまうだろうから、早目に入れておこうとは思いましたね。歌の内容は合わないことないし。でも彼女ほどの音域はないからちょっとずるして直したけど(笑)。あんな声、出ないよ。瀬尾さんは平原さんのを録った時、もうこっちのアレンジを考えてたよ。こっちで録る時にはもうちょっとシンプルにするからって。「あ、ビンボーにするってことね」(笑)
―― テーマは「歌とは何か」という大命題でしょうし。「ララバイSINGER」を思い浮かべましたけど、更に深く踏み込んでますもんね。核心を歌ってる。
彼女のはあの歌い方のすごみが出たんでしょうけど、ワシが歌う時は二律背反、アンビバレンツなつもりで歌ってます。「アリア」って独唱でしょ。オペラなんかでも一人だけで歌うパートですよね。二人で歌うパートがあったり4人で歌ったりコーラスがあったりする中で一人で歌うのがアリア、ソロ―パートですよ。それでいて“一人では歌えない”と言ってるというこの二律背反。そういうつもりで歌ってます。何のためにアリアを歌ってるんだ、ということですよね
―― 一人で歌うパートなのに“一人では歌えない”と言っている。まさに相反する。二律背反、核心ですね。
アリアをキチっと歌えるのはどこかで自分のアリアを歌っている人と出会った時でしょう。受け合うのね。受け合った時に波が生まれる。それが「相聞」ですよ。そのために歌わなきゃだめだ。それぞれの「アリア」が共鳴した時に人と人の関係が生まれる。それが「相聞」。聴かせっぱなしじゃだめなんです
―― 独唱なんだけれど自分だけのために歌うのではない。響き合う相手の歌と共鳴するために自分の歌をうたう。
だから“響き合う波を探して”と歌ってるの。響き合うために相手もアリアを歌ってなければダメ。それぞれが自分のアリアを精一杯歌って響き合う。それが「相聞」だと思う。一人で歌っていることが目的だったら誰もいない野原で歌ってればいい。人前で歌っている必要はない。孤独という闇から自由になりたいがために歌うんだったら、出会う歌をキチンと探す、ということなんですね
―― ということは、「アリア-Air-」が出来た時には「相聞」というタイトルは決まってたということですか。
そういうことを日本語に置き換えると「相聞」だなと思っただけね。日本には昔からこういう言葉があるじゃん。ほらほら、もうすでにあるんですよ、みたいな気分で付けたんですね。日本の古典には、何だもうここで言われてる、みたいなことが結構ありますもん。敵いませんね(笑
長い引用になっているが、印象的なのは、「響き合う波を探して”と歌ってるの。響き合うために相手もアリアを歌ってなければダメ。それぞれが自分のアリアを精一杯歌って響き合う。それが「相聞」だと思う。」のところ。
「アリア」が「相聞」と意識的に繋げられている。
この「相聞」は無私の思いを表現しているだけでなく、「相聞歌」のように「孤独という闇から自由になりたいがために歌うんだったら、出会う歌をキチンと探す」思いを「アリア」に込めていたのである。
「アリア」は平原綾香さんのそれとは違い、達観した軽さを感じた。
肩に力は入らず、淡々とだけどまっすぐに歌っている。
この曲が、この場所に入っているのにははっきりとした意味があったのだとインタビューを読んで思った。