相手の話に耳を傾けなければならない。
その時に大切なのは、
共感することやアドバイスすることでなく、
肯定も否定もせず、ありのままで聞くことである。
こんな内容のことをカウンセリングに関する
講座の資料で読んだ。
言わんとすることは理解したが、
そういうことが可能なのかと考え込んでしまった。
ひとの話を聞くのは誰でもなく自分で、
「自分」というフィルターを通している。
相手の立場でと心構えもしていてもそれは変わらない。
話しを聞いた時点で、聞き手としての「自分」が
何らかの反応や判断をしているものではないか。
頷いたら肯定、首を傾げたら疑念、首を振ったら否定。
ことばで反応していなくても、表情や動作があれば、
話し手は聞き手の反応を汲み取るのではないか。
会話というのはお互いの反応があってこそ
成り立つのではないか。
カウンセリングという特別な会話では
話し手と聞き手の関係が特殊ということがあるが、
それでも無表情で無反応で会話することに
意味があるとは思えない。
相手の話に先入観や判断をもたずに向き合うことは
できなくはないことだろう。
でも、そのことが話し手に何をもたらすのだろう。
会話から生まれた自分ひとりでは思いもよらない
何かに気づくところに、自分の変化が始まる契機が
あるからこそ会話をするのではないか。
肯定も否定もせず、ひとの話か聞けますか?
聞けない自分だからうじうじ考えてしまった。