前回のみゆきさんカテゴリのエントリーの続きです。
みゆきさんと糸井重里さんの対談を読んで、
私が個人的に感じたことを書いてます。
次回で終了の予定です。
(この対談は13回シリーズです。)
第5回から
地上の星が「無名の人たちの光」への敬意から
詞が生まれているというのは、どこかで似たような記事を読んだ気がする。
言葉を紡ぐ糸井氏とみゆきさんでその創作過程での意識の違いが
伺われるところがあるが、コピーライターと曲を作るひとの違いという印象を受けた。
第6回から
みゆきさんは曲を発表したときに完成したと思ってなくて、
リメイクしたりコンサートで歌ったりしてもその気持ちに
変わりはないというような話をしている。
このあたりにみゆきさんのこだわりの強さを感じる。
そのこだわりを「よいしょ」とか「どりゃー」という
ことばで表現されているところが面白い、
第7回から
「空と君のあいだに」が家なき子のドラマにでる犬の視点から生まれた
というエピソードが出てくる。それ自体はファンなら周知のことだが、
具体的に犬の目からみたものという解説は新鮮。
後半、みゆきさんの詞には「お客さんとの交流がある」といった話が
糸井氏から出るが、彼がみゆきさんの歌が好きだとわかる話で共感できた。
みゆきさんに思いを馳せるというのはファン心理にぴったりの表現だと思う。
第8回から
最初の方にみゆきさんが自分は先に行くことができない
とろい人間だから、後から先に行ったひとが落としたことを
拾っているというような話がある。
これは核心をついた話のような気がした。
みゆきさんは流行を追うとか作るとかではなく、変わることの
ないもの(不易)を紡いでいるということではないか。
結果として、10年という世代で見たときに、デビュー以来
各世代でヒットチャート1位の曲があるという理由にもなって
いるように思う。
話の後半は視力を切り口にしてのものの見方について。
クリエイティブな方たちはさすがに見方が違うという内容。
私自身は乱視になってちゃんと見えないということがそんなに
たいしたことでもないのかと思うほど、見える見えないにも
慣れがあるのだということを勝手に感じている。
第9回から
視力が悪い話の続きから、それゆえにひとを声とか
体温で理解する、だから、ことばが大事という話題に
移ってゆく。
ひとの目利きを「声音」「声の温度」でする。
使っていることばの奥にある「温度」を感じる。
ひとと分かり合えるときというのは、そういう風に
声やことばを感じられるのだろう。
頭でこねくりまわさずに素直に受け止められている
状態ということだろうか。
耳が痛い。
(今日の落とし言)
先週、みゆきさんの新しいアルバムが発売になった。
とても詞の言葉が痛い、ハードな曲が多い印象。
この話題でエントリーを書く頃には何回聞き込んでいる
ことだろうか。