ある大学の死生学の授業がニュースで紹介されていた。
生きている自分が死を意識したとき、何を大切にしているのかを
認識することで、生きていく上で大事なことについて考える授業
ということだった。
授業の内容で紹介されたのはこういうことだ。
今自分にとって大事なものを12個選ぶ。
自分が末期ガン患者として、死期の迫るのを日記で綴られていく
内容を聞きながら、大事なものを絞り込んでいく。
いよいよ最後というときに大事なものをひとつにする。
そして、自身の死によってそれとも別れることを、それを書いた
紙を破るという行為で追認する。
ニュースでは家族、それも母親が最後に残る学生が多かったそうだ。
母親の捧げてきた愛情を思い出すきっかけになっているのだろうか。
自分が生きているときに意識から遠くなってしまった大切なこと
というものがある。
それに時間を割いていないが自分が自分である上で大切なもの。
そういうものをこういう体験によって感じることができるのだろう。
学生は普段死を意識していることは一部を除いてないだろう。
死、すなわち生きている時間を失う前提で、今の生活を営んではいまい。
それでいいのかもしれないが、自分が生きている、生かされている条件を
汲み取ることもいい経験ではなかろうか。
私にとって生きている上で大事なものを考えてみる。
最後に残るのが「愛」だといいなと思う。
この授業では抽象的なものではなく、具体的なものやひとでしたのだろうが、
それをここで書くのはためらいがある。
このブログは死のあとにも残るものなので、もののなかではなくてはならないもの
といえるだろう。
だからこその「自分遺産」である。