京都教育大の生徒が飲み会の席で女子学生を暴行したとして
逮捕されるという事件が起こった。
学校側は事件のことをわかっていながら、警察に届けず、
犯行を犯した学生を退学ではなく、無期停学という処分にした。
その理由が、「教育的配慮」ということである。
「教育的配慮」を受けるべき対象は誰と学校は考えたのだろうか。
犯行に及んだ生徒に対する前に、被害者と無関係な同校生徒に対して、
向けられなければならないのではないだろうか。
学校側は在校生に、教員養成を担う大学だから、犯行に及んだ生徒の
将来への配慮をするべきであるという理由で、退学でないのだと
説明をしたようだ。
これを、「教師は生徒を正しく導く存在」としての対応と考えれば、
納得いくような説明に聞こえる。
が、私には全くおかしいとしか思えない。
この事件が例え集団暴行ではなかったとしても、飲み会の会場で、
そのような行為をする学生が教師になる権利を得ていいのか。
魔が差したことを更生したとしても、それは違うと私は思う。
停学が解除されて、その学生たちは何事もなかったかのように
勉学に励めるのだろうか。励めたとしても、同じ大学の女子学生は
そのことを気にせず席を隣にするとも思えない。
この事件は決してしてはいけないことだと、したものにも他のものにも
そう知らしめるほうがいいことではないか。
この程度のことをした教師がわが子を教えているといって、
よくぞここまでがんばったと保護者は尊敬するだろうか。
万一のことを心配する保護者のほうが自然な感情だと思う。
今回の大学の対応で学校の信頼もなくしているのではないだろうか。
教育界だからこそ毅然とした対応が求められるように思う。