3月11日、私は仕事で葛西臨海公園の近くにいた。
関係者を見学会に引率していた。
見学会もあと少しで終了というところで地震にあった。
ビルの3階にいたが、何かにすがらないと耐えられない揺れだった。
情けないが動悸は激しく打ち続けた。
揺れのショックが表面上おさまったのを見計らって、見学先をあとにした。
たいへんだったのは、実はこれからだった。
西葛西駅に向かったが乗ったバスは途中で止まり、歩くことになった。
駅で電車がいつ動くかわからないということで、軽く食事をかねてファミレスに入ったが、我々の後に入店した客はガスが止まり、飲み物だけしか注文できなくなった。
私は、店を出て、会社への連絡のための公衆電話探しや今度の動きを探るために交番や駅で情報収集をした。
この後どうするかは関係者それぞれの意向に任せる同意を会社からは得た。
電車はこの日の復旧はないという。
近くにホテルはあるらしい。
私は泊まりを覚悟した。
私は様子を同行者の皆さんに伝えた。
するとそのメンバーから出たのは、レンタカーで帰れないかということだった。
この日のうちに帰りたいひとが多いので、私はレンタカーの確保を歩きですることにした。
3店目でここに返却してくれるなら出せるというので、借りることにして、車に乗り込んだのは19時過ぎだった。
7人全員が帰宅するのは5時間後位かと高をくくっていた。
実際は、高速道路が不通なので、一般道は車で溢れていて、歩道を歩く人たちより遥かにゆっくりしか動けなかった。というより止まっている時間が長くあった場所がいくつかあった。
西葛西から駒沢まで8時間はかかったと思う。
同行者が全員帰宅の後、私が自宅に着いたのは、土曜日の朝6時だった。
疲れていたのに、緊張感が抜けず、テレビをつけると、官房長官の会見が映っていた。
震源地に近いわけではない東京で大きな地震にあうだけでとんでもないことになると痛感した。
まだ、レンタカーを返しに行く仕事が残っているだけに、緊張感から解放される気がしなかった。