1月28日の北海道新聞に「無気力で不登校 4割」という記事が出た。
文科省が中学時代に不登校だったひとの5年後を追跡調査した結果についての記事である。
不登校のきっかけや理由で、「無気力型」「遊び・非行型」「人間関係型」「複合型」と分類して、調査結果をまとめている。
何となく行かなかったという「無気力型」が4割と1番大きい比率になっている。
調査ではこの型の不登校のきっかけに関する顕著な傾向はみられなかったという。
文科省は「無気力型は『学校に行く意義がわからない』などの場合も多く、本人や家庭に対する働きかけが必要となる。」としている。
文科省は、10数年前に不登校生の追跡調査を行っている。
そこでは、『不登校のきっかけは、「友人関係をめぐる問題」(45%)、「学業の不振」(28%)、「教師との関係をめぐる問題」(21%)など学校生活に関わるものが多い。不登校の態様(不登校継続の理由)についても、「学校生活の問題」が最も多く挙げられている。』と報告されている。
今回の調査で言えば「人間関係型」が多かったということになろう。
この10年ほどで不登校の状況に変化が生じてこの結果になっているのだろうか。
「何となく」と言わせている「他者」が存在するはずで、この分け方で文科省が自己責任を本人側にもっていこうとしてはいないかと疑いたくもなる。
学校内の人間関係でトラブルがあり、学校に行かなくなったが、そのときに学校に無理して行かなくていいという考えに至ったケースを「無気力型」に分類してはならない。
学歴社会は崩壊し、非正規社員の比率が上がり、「食べて行くために学校に行く」というレールははっきり見えない時代になっている。だから、学校には行かないといけないという意識は薄くなってもおかしくはなく、学校側がその生徒の状況を容認すれば、「無気力型」不登校生が生まれるということになっていやしないか。
自習する力があれば、学歴は取得できる時代にもなっている。学校生活は何のためにあるのか、学校に行けてうれしいと学校を運営する側が今までになく伝えないといけないのではないかという議論にはなっていないのだろうか。
世の中が激変する中で、学校も不易なことを維持しながら変わって行くところは変わらないといけない。
追跡調査の対象は不登校生だけではなく、文科省自身でもあらねばならないのではないだろうか。