いろんなことがあって、ゆっくりこの本を読むこともありませんでした。
まだ実は読了していません。
今回のテーマは、「やさしい問題とむずかしい問題」。
「あること」をやさしくも難しくも捉えられる不思議について。
この本では「今から10分後に駅前で会おう。」という会話において、
今とか時間の概念について考える能力はあっても
そのことを考えるということはなくて、
それに間に合うよう、難しいことは考えず、行動するという
例えが挙げられている。
生活していくためには、物事をやさしく解釈しなければならない中、
どうしてそれを難しく考える能力をひとは持っているのか。
この使い分けの個人差がコミュニケーションのズレになったり、
逆にツーカーでわかりあえたりするもとになっているのだろうか。
「やさしく」問題を捉え続けることで「難しく」捉えられるようになるのか。
もともと「難しく」捉える能力があって、
状況に応じて「やさしい」と「難しい」を使い分けているのか。
ひとと機械の違いと見て考えると、
ひとが相手を理解して行動するにあたって、
物事を「やさしく」も「難しく」も捉えられることは、
そうでないとたいへんかなとは思う。
その幅広さと使い分けが人間の成長ということでしょうか。