きょういくブログにこんな記事がある。
通学している学校の教諭から体を触られるなどのわいせつ被害を受けてPTSDを発症したとして、千葉県内の公立小学校に通う6年女子児童と両親が1月30日、千葉県と地元自治体・当該教諭を相手取り計1000万円の損害賠償を求める訴訟を、千葉地裁に提訴した。
この提訴がマスコミに報道された時にツイッターでつぶやきをみた。
「これって、学校じゃなかったら犯罪になっているんじゃないの」というような事件の扱い方への違和感だった。
学校が現場なので状況証拠がはっきりしないし、教師が加害者だと隠蔽もしやすい。
学校は外部から遮断された場所で、そうでなければならない場所でもあるので難しいところもあろう。
こういったことを扱う専門機関を行政が設置してはどうかと思うのは過敏な反応だろうか。

今年の正月は快調にお酒を飲んだ。
ちょっと足らないかなと思っていたら、
押入れからひこ孫大吟醸が出てきた。
3年ほど前の頂き物だが安定のおいしさ。
これをガブガブ飲むのはもったいないと思い、地元の酒屋に出かけた。
物色していたら、川鶴のひやおろしを見つけた。
さぬきよいまいのお酒なので購入。
冷でも燗でも旨味があっておいしい。
松の内が過ぎても快調に飲めそうだ。
中島みゆき夜会VOL,20「リトル・トーキョー」の公演が始まった。
チケット発送の連絡がファンクラブのメルマガで届き、そろそろと思う中、
ネットを見ていて嫌な予感はしていた。
届いたチケットを見て、その予感は的中した。
なんと席は2階だった。
シアターコクーンの時に2階の経験はあったがそれは一般発売のチケットだったと思う。
今回はファンクラブの先行受付分だ。
ネットでつぶやいていたひともショックだったが、自分のことになるとやはりショックだった。
昨年10月に抽選に当たって代金を払って、約4ヶ月待って届いたチケットが2階とは。
前々回の夜会を立ち見で見たときですら1階だった。
先行受付分に2階席も充てているなんて今まで想定していなかった。
まあ全席指定の2万円なのだからどこも価値は一緒なのだろう。
先行受付の注意事項を改めて読むと「一般発売チケットよりも良い席を確保するというものではありません。」
と明記されていた。
一般発売の前にチケットが届いていて2階とわかったら、一般発売でもチケット申し込みをしたかもしれない。
いやこれは結果論か。
先行で運よく当たったけどそれほど強い運ではなかったと思って当日を待つことにしよう。

みなとみらいの赤レンガから桜木町駅に向かう汽車道と途中であることに気づいた。
そして、ちょうどと思うところで写真を撮った。
真ん中に写るのはなんでしょう?
大観覧車
横から見るとこんな感じに見える。
なかなか新鮮な気付きだった。
エアロです。
ご無沙汰しておりますが、皆さまお変わりないでしょうか。
ボクは月に還って2年が経ちました。
命日2日前にウチのひとたちが墓参りに来てくれました。
コロンも初めて来てくれました。

嬉しかったですが、コロンが霊園の猫さんに襲いかかろうとしたので恥ずかしかったです。
私は「将棋ウォーズ」というアプリで将棋を指すことがある。
今、1級だが2級に降格しそうな状況に、アプリを開ける機会が減っている。
そんな時にネットでこんな本が新刊されたことを知った。
将棋「初段になれるかな」会議 (扶桑社新書)
プロ棋士の高野秀行六段に、将棋好きだけど決して強くない、ライターの岡部敬史と漫画家のさくらはな。の二人が、悩める級位者の声を代弁して、「わかったふりはしない」を信条になんでも質問して、初段を目指して上達する方法を考えるという内容だ。
初段を目指すための本はいくつもある。
この本は、将棋ウォーズで初段を目指しているという設定が私と同じで、対話形式で書かれていて「さくさく」読めるということで読むことにした。
内容はシンプルでわかりやすく、あっさり読めた。
著者の一人のさくら氏が無事初段になられたのは励みになったが、わかったことは私は今のままでは初段になれないということだった。
知識と練習が足らない。
少しは定跡は知っておいた方がいいし、詰将棋や棋譜並べをした方がいい。
してこその初段。
30分の暇つぶしに将棋を指しているだけでは到底できない。
まあ、そんなもんとは思っていたが、どうする。
まずは詰将棋か…。
将棋「初段になれるかな」会議 (扶桑社新書)
amazonの本の紹介ページに飛びます。
2月から職場が変わった。
前の職場はちょうど1年だった。
入社して33年で12回目の異動になるが、今回の在職1年が最短になる。
これまでも組織変更に伴っての異動に巻き込まれたら在籍期間は短かった。
今回はその準備の仕事をしたら、次にということになったわけだ。
2月からの職場は今までと部門が異なる。
規模が小さい新しいチームになる。
私の経験の何が活かせるのかの想像がつかない。
年末年始からそのことを考えたりしたものの解決にはならず。
1月は現職で多忙だったのでそれをこなすだけだった。
さて、私のサラリーマン人生はどこに向かうだろうか。
きょういくブログにこんな記事があった。
簿記の試験を受けた人がトイレに行きたくなって、でも、トイレに行くとその後のテストは受けられない。
それでもトイレに行ったので結果は不合格になった。
その人は「生理現象に配慮しないのは不合理」と訴訟を起こしたが、
判決は「試験の実施要項は主催者の裁量内などとして、原告側請求を棄却」だった。
今の時代、ネットの進化で試験会場外に受験生を出してしまうと不正行為の恐れがあるとするのは当然である。
簿記に限らず、商工会議所の試験では同様の対応をしている。
私も別の資格試験でこの対応がされていたが、試験獲得からの案内も当日しっかりされていて
開始前に用を済ませることができた。
このレベルは自己責任のレベルではないか。
合格したかったら試験中にトイレに行きたくならないようにすることができるはずである。
不測の事態になったとしても自己責任である。
それに対応するコストが大きく、そこまでする必要はないと私は思う。
合格したければ、何度も受験したらいいのだから。





今年も恒例のアメ横買い出しを晦日にした。
ただ、今年はふるさと納税の返礼品と地元の買い物で、ここで買うものが少なくなった。
海老の鬼殻焼きの佃煮、かまぼこ、漬物、うさぎやさんのどら焼きってところ。
その後、湯島天神にお参りをしたが、ここが一番列が長かった。
ここまでで昼の時間になったが、食事ではなく、久しぶりにこの時間に営業している壺中さんで少しだけ飲んだ。
辯天娘をいただいたが熟成したものは初めてで、旨味と綺麗さのバランスが取れた味わいだった。
生からすみも燻製も品よくお酒と合ったものだった。
外は真っ昼間なのに、ここは時間を忘れる空間で、年越しにはぴったりの時間になった。
中島みゆきさんの天理時報に連載された「四十行のひとりごと」の13回目のタイトルが「我々の宿題」だった。
新年に合わせたものだろうか。
人間は誰かの役になるのが嬉しいものだが、大きなお世話と失敗することも心配。
そのことでお世話することを躊躇して、二の足を踏むことになること。
「あなたが笑顔になってくれたら私も笑顔」で相手が先に笑顔になるのを延々と待ち続けること。
意志だけではもたない事態のとき、くじけた意志を救う陽気はどこにあるかということ。
この3つを「我々の宿題」とした。
最後に「この小さな星が滅びに向かって流れてしまう前に」と書かれていた。
それで、みゆきさんはどうするとはということには触れていないのは、曲と同じだ。
読んだ人に委ねている。
ただ、はっきりしていることがあって、この宿題は「我々の」のものだけれど、
「自分だけで」取り組めるものだということだ。
私には何ができるだろうか。