読みかけの本が年末にあったけれど、正月休み用の本は買っていた。
そのうちの1冊は長期休み本として私にとっては定番の京極夏彦氏の作品だった。
定本 百鬼夜行 陽 (文春文庫)
京極堂シリーズを彩る男たち、女たち。彼らの過去と因縁を「妖しのもの」として物語るスピンオフ・ストーリーズ第二弾である。
京極堂シリーズはページ数が多く、文庫でも重いので通勤読書に向かないから、長期休みに読んでいる。
この作品はスピンオフ作品なので、元本があって、その登場人物にまつわる物語である。
もちろん、その元本を読んでいなくても物語として成立するものにはなっている。
京極堂シリーズの持つ雰囲気も味わえる。
が、元本でどんなところで登場した人物だったかなど確認する訳ではないので、元ネタの記憶は様々で、作品を十分に楽しめたかどうかは疑わしい。
また、各作品のオチがすっきりしないというか、オチてる感じがしなかった。
さらに「鵺の碑」という次回作のスピンオフ作品まで入っているのである。
それなら、「鵺の碑」をまず発表してほしいものだと思った。
この本は京極堂シリーズのファンでない人にはオススメできないのは確かである。
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大掃除をしていた時に、母校の高校同窓会の会報が出てきた。
捨てるかどうかを決めるためにペラペラめくっていたら、ある記事に目が行った。
「むすびの会」
同窓会で、結婚の縁をつなぐための会があるとは気にしたことがなかった。
ちょっと調べてみると、もう会ができて20年以上になり、この会を通じて結婚なさった方が100件以上になる。
年間5組ほどが成立しているのは私には多いように感じた。
今の婚活が出る前の昭和の時代には、結婚相談所とか縁談の会といったものが機能するほど、縁談が結婚の契機になっていた。
この会は平成になってからできた会なので、時代に合わせた感じがないのになかなかの成約数である。
この会の特徴は、参加資格が同窓会関係者かその推薦を受けた方のみということになる。
つまり、縁談を同窓会限定でするということである。
結婚を契約と考えると、同窓であることで信用があるということが挙げられる。
結婚の前のお付き合いを考えると、同窓であることで共通体験や話題があり、意気投合しやすい、そこから、恋愛感情につながるといったことがあると思う。
高校の同窓会がこういった会が成立するための条件はあると思うが、結婚のきっかけの一つとしてあっていいのではないか。
それは私自身が同窓ではないが高校時代の付き合いから結婚に至っているから思ってしまうのかもしれない。
ただ、結婚には「共通点と信用」は必要で、大学では出身地などが異なるが高校だと生い立ちや生活環境がお互いに想像できる程度には共通しているので、相手についての理解がしやすく、お見合いがしやすいということはあると思う。
恋愛が結婚の前段階である形態が崩れていると思われる近頃、縁談が見直されるかもしれない。
きょういくブログにこんな記事が上がっていた。
文部科学省は1月6日、教員の長時間労働など業務上の過重負担を減らすため、教育委員会や学校に「業務改善アドバイザー」を派遣する方針を明らかにしたというのである。
過重負担軽減のための「業務改善」の前に、「人員増加や業務削減」が必要ではないかという意見が出るのもわかる気がする。
読売新聞を読んでいたら、こんな記事も載っていた。
文部科学省は6日、中学や高校での部活動について、休養日を適切に設けるよう促す通知を全国の教育委員会などに出した。指導に当たる教員の長時間労働を改善し、負担軽減を図る。
教員の業務を見直そうという文科省の姿勢は評価されていいと思う。
その時に教育だけに質の劣化につながらないようにしないといけないので難しいところがあるから時間がかかることがないようにしないといけない。
人員を増やす発想は文科省には予算のこともあり、ないと思うが、今の時代、量で質を担保するのは無理な時代になっていると思う。
人数は同じでどれだけ質を上げられるかを組織は常に課題にしている。
「業務改善」が「改革」レベルになるかどうか。
「改革」というのは大きく変えること、つまり、教員が担当した業務から他の人に担当を変える業務を決め、教員の業務を精査するということである。
部活で言えば、教員が顧問をするのではなく、競技の指導はその競技団体から指導者を斡旋してもらうなどして外注し、校内の手続きや会計などは教員ではない職員が担当するというような変化まで起こせるかどうかである。
「改善アドバイザー」がどんな実績を上げるか期待したいところである。
体調がいい訳でなく、飲んでいる薬のこともあり、松の内に飲んだ日本酒はさほど多くない。
量を飲まないけど美味しく飲めているので機嫌は悪くない。
新しく開栓したのは長珍のうすにごり。
味のしっかりした料理に合うのでこの時期に向いている。
備前雄町は22BYなので、1合ほどしか残っていなかったが、上品に熟成していた。
二世古も3年経っているが、こちらは米の旨みが出ていて美味しくなっていた。
越乃寒梅は端麗なので、箸休めのような感じで飲んでいる。
おせちはなくなってもお酒は残ったので、チビチビと飲んでいこうと思っている。
開場時間を過ぎてから会場に行っても、そう入場に時間がかからないのが、コンサートと違って、夜会が大きな会場でしていないからかと今更ながら思う。
前回の立ち見は会場のスタッフさんに導かれての入場で、自分に与えられたスペースが限られていたので、会場内ではじっとしていたはず。
今回は1階の前から4列目の下手サイドと前回から天地の差がある席となっていた。
席について目前に見えるものが少ない。ことにひとの姿が少ないので背後のことは気にならない。ある程度前の方が舞台に集中できるものだと思う。
開演までまだまだ時間があり、同伴者が席を立っている時にその目前の景色を撮っておこうかと思った時に、私の左手で、ある客が舞台を撮影したことをスタッフに見咎められ、データを消すまでチェックされていた。
ので、やめておいた。
一人でないのは私にとっては気を遣うところが大きい。
いつもなら会場をウロウロするのに今回はトイレにも行かず(待ち合わせ前に済ませた)、オケピを覗きに行くだけだった。
こんな前の席で音はどう聞こえるのだろうかなんて考えているわけでもなく、前に見た時と同じ印象を確認するようなものだった。
うろちょせずにいたことで、さあ前回私にはわからなかったこの演目をどう受け止められるか、何が変わったかを感じられるかなんてことを思ったりして開演を待つことになった。