2024年に開催された「中島みゆき展」、数あるグッズの中で唯一「図録」を購入した。
買ったままにならずに、ブログのネタになるだろうという打算的理由による。
2番目に掲載されているのは、「映像作品に見る「中島みゆき」の普遍性について」。
これは「中島みゆき展」をみたときに、私にとって印象的で懐かしさを感じるコーナーだった。
脚本家倉本聰氏など6名のインタビュー記事が掲載されている。
私は、CMを制作された3名方のインタビューが興味深かった。
そこには、CMにみゆきさんやみゆきさんの曲が必然とされている背景が触れられている。
この記事の最後に「中島みゆきタイアップ代表作」の一覧があり、TVドラマ、映画、TVCMごとに取り上げられている。
のべ120曲以上が映像とともに流れてきたことがわかる。
TVCMでは「時代」を使ったものが17もあった。
何よりすごいのが、1979年から2023年までみゆきさんの曲がタイアップで取り上げ続けられているということだ。
中島みゆきの曲は時代を巡っている。
グリューワインを初めて飲んだのがいつかは思い出せないけど、日本のどこかのクリスマスマーケットのような野外イベントの夜だったと思う。
ホットワインもいいもんだと雰囲気と共に暖かく酔ったような気がする。
わが家の2024年のクリスマスパーティーはケンタの予約などの都合でイブイブにすることが結構前に決まっていた。
それでふと私は、家でグリューワインを飲もうと思いついた。
それもドイツのものでと。
季節ものはその時だけはあるものと思いたかったが、近所では見つからなかった。
諦めきれず、ネットで購入した。
イブイブにフライドチキンとともにおいしくいただいた。
ホットワインも時にはいいもんだ。
コロンです。
寒い日が続くと、ウチのひとが私のために冬用のベッドを出してくれます。
これがぬくぬくで気持ちがよいのです。
ついついうたた寝してしまいます。
恋文の技術 新版(森見登美彦著、ポプラ文庫)を年末年始に読了。
購入のきかっけは年越しの買い物ついでに駅前の本屋で見かけたから。
新版の初版本限定のカバーが巻かれていて、小冊子もついており、目立っていた。
作者は存じ上げないのに手に取ったのは、カバーのイラストを書かれたひとは知っていたのと舞台が能登だったということだ。
出版社による本の紹介は以下の通り。
京都から遠く離れた能登の実験所に飛ばされた大学院生・守田一郎。文通修行と称して京都の仲間や家族、家庭教師先の少年、作家の森見登美彦らに手紙を書きまくるのだが、本当に想いを伝えたい相手には書けなくてーー。
ヘタレ男子の純情が炸裂する、森見節満載の書簡体小説。
長らく愛されてきた傑作が、「新版あとがき 読者の皆様」を加えて新版として登場!
昼から酒を飲んでいる休みの日に、出かける用事もなく、テレビやパソコンを見ないでいようと思った時に読むには合っていたと思う。
主人公からの手紙だけで話をパラレルに進めていく形式は読書の区切りをつけやすく、伏線などといった覚えておかないと面白味が味わえないということもなく、流し読みしていけた。
読後感はあっけなかった。というか拍子抜けというか、終わり方としてはもっとかたをつけてもらったほうが読んだ感があったと思う。
話の内容ではなく、「天狗ハム」の味が気になり、昔行った「恋路海岸」の風景を思い出す機会になった。

楽天ブックスの本の紹介ページに飛びます。
のは、老いによるものとは思いたくはない。
(2024)年末を迎えようとしてしているが年賀状じまいをしているし、時間は以前よりもあるはずなのに、面倒でなのかちゃんとしていないことが身の回りにある。
かろうじて衣替えはここまで寒くなるとせざるを得なかったが、コートは12月になってもまだ出していない。
壊れたパソコンは手をつけないままで、処分してもいい紙類も部屋の隅に追いやっているだけで、片付いていない。
最悪は昨年の(2023)年末に処分しようとよけて置いたものがまだそのままになっている。
単身赴任時には規則的、習慣的にしてきたことをしていない自分の状態がどうしてなのかと思う。
今年の後半以降、鼻水がよく出るのは、鼻炎によるものと思っているが、私のアレルギーはハウスダストで、ちゃんと掃除をいないといけない理由もあるのにしないのはなぜか。
以前よりも引きこもっているからだろうか。
60歳で再雇用されて、朝から出社する機会は減った。出社した日のついでにどこかに行くことも減った。
行動量とその範囲が小さくなったことで、私は引きこもり化しているのだろうか。
いかん。
思考が暗くなってきたのでここまでにしよう。
その後、コートは12月中旬から着始め、年末に自分の部屋の掃除を形になる程度にはした。
必要になれば動けるのでまだまだやれると自分を認めてあげることにした。
壊れたパソコンのディスプレイが冷ややかに私を見下している。